表現しようのない不安感、閉鎖感を感じている。昨今のほぼ軟禁状態におかれる事情が影響しているのかもしれない。27歳になって、快い気持ちになることが少なくなったのかもしれない。 まぁ、元から セロトニン等の分泌が少ない などの原因もあるのかもしれないが、最近どうにも将来に希望が持てずにいる。(今のところ鬱のような症状はないし着実に生きることができてはいるのだが。)
この状況を打破するための試みの1つとして、つい5日前に髪をばっさり切った。サイドとか刈り上げてんのでマジで誰という感じになっている。そういえば2年ほど前も相当短くした(このときは+染めた)記憶がある。 *1
当時は色々開き直れて、立ち直れた気もするのだが今回はそこまでのカタルシスを得ることはできなかった。どうやら禊としての断髪は1度しか効果がないようだ。
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自分には明らかにイデアを知覚できた瞬間があると思っていて(哲学的な話高校で習ったきりなので間違ってたらごめんなさい) 説明しにくいけど 音楽で生きていくと思った
の投稿をしたフジロックのbonoboのライブの時、そこには本質的な楽しさがあったと思っている。
また、cllctv企画で名古屋に運転しに行った日と、sickroom EP作った時とか、由来の分からない高揚感でいっぱいで本当に楽しかった記憶がある。
改めて4/14 cllctv.企画 bookshelf vol.5 @鶴舞K.D.ハポン ありがとうございました。とりあえず4枚だけ。colormalタグ付けできんやんけ。@colormal pic.twitter.com/X0mXTDLYdU
— シガ (@shigaaaa21) 2019年4月17日
【RT希望】みつきゃすたーとイトウユキトのコラボ音源 「sickroom」です。3曲入り10分、あっという間でとっても切ない音源集。
— ykpythemind (@ykpythemind) 2016年9月30日
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[web] https://t.co/qrqAd2wpxq #sickroom pic.twitter.com/ir34nhVkn3
その3つの例は自分にとって生きることの喜びの実体を感じることができた瞬間なのである。 自分のセロトニン受容体のヘボさ故か、大体同様のことをやってもその喜びを得ることができず再現性がない。自分の脳を騙すことが人生の1つの攻略法だとはおもう。
ロックの世界では27歳で死んだ人らが多いらしい。ついにこの歳になってしまったかという感覚がある。20くらいのときは27歳に憧れがあったものだが。 思うに、この歳になると若者としての一通りのことを経験し終えるのではなかろうか。一人暮らしや就職をして、税金や年金等を払う生活でぼんやり薄暗い将来が見えてきたり、仕事でも一旦自立して金銭的にも独立して、なんなら結婚して… などなど。これから人生に起こる新規性のあることは子育てくらいなのでは?と思うくらいいつの間にか経験しきっている。 不謹慎な言い方をすると、死ぬには適している歳だなと思う。そう思えることがある程度恵まれて生きてこれた証拠でもあるのだが。
では、これから何が刺激的で、自分が生きる意味とは何だろうと結論を出したくなってしまうのだが、やはりもがき続けるしかないのだろうと思う。 ある意味前時代的かもしれないが、答えのないことに関しては苦しみが続くものなのだと感じた。 むしろ、自分が常に「快」を感じることができるものを定義した瞬間に自分は終わると思っている。だから、他人から「子供ができたらまた変わる」と言われてもピンとこないし、どういう生き方ができたらゴールかみたいなことを一切考えられずにいる。(それこそ単に年収が上がっても解決できない要素が多い)
つまりこれからも悲しみは俺とともにあるってわけ。 よろしく!
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幸い自分の友人は似たような閉鎖感だったり、内省を持っている人間が多い気がする。 そろそろ友人たちと何らかのチャレンジをしたいねと言いつつ踏み出せないでいるこの頃。恐怖もあるがやはり資金力が足りない。 若者がなにか始めたいと思ったときに始められる世の中だと良いと思うが、なかなか今の日本だと厳しそうねと思ったり、自分が知らないだけか?とかまだ言い訳しているだけかもだとか色々あるが、「なんか面白いことしましょう」以上の具体的な案が出ていることのいくつか、実現できるよう進めていきたい今日このごろである・・・
*1:このへんに書いてある 恥ずかしい - 名古屋市同棲支援センター